森永ヒ素ミルク中毒事件の記録
母と、その母に贈る、ある一家の歴史
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守る会・光を求めて二十年 7
 主人が精魂こめて書いた人道主義の思想と要求で貫かれた「森永ドライミルクに依る被災家族中毒対策同盟趣意書」は、行政当局、県下の各大病院に宛て発送され、日赤の私達は重症棟の一階から二階三階へと走り、大講堂では、私はいつの間にか演壇の上に立っていたが、訴え終わる間もなく親達は「賛成だ!」と叫び中年の婦人が「ここは引き受けた。頑張りましょう」と進み出た。
 三階の廊下に我が子を入院させていた歯科医師の平田孝雄氏は「実は私も我慢出来ない気持ちでいたが趣意書を読んで感激し、決心した。徹底的に闘いましょう」と申し入れてきた。署名し乍ら親達は、毒ミルクと知らずにのませた怒りを、悲しみを、私にぶちまけた。
 通院患者も我先に署名、病院内はアッという間に団結した。私達は一般患者にも訴える為病院内に趣意書をはって回った。


[2009/04/08 07:07] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
守る会・光を求めて二十年 6
 二十七号室には、高熱でうなされ、耳だれを流し、泣く力もない黒い赤ちゃん達が横たわり、バル注射の都度あえぐように泣き、その哀れさに親達は怒りを爆発させた。
「バルや抗生物質の注射で赤ん坊が完全に良くなるのか。家業は出来ぬし治療費は一体どうなるのか。森永は謝りにも来ないではないか」
私は西崎訂敬氏他数人の父母と語り明かした。「被災者が団結して森永に責任をとらせよう。先ず日赤の入・通院患者の署名運動から始めるのだ」と夜明けに決意した私達は趣意書と署名簿の作製を主人に頼み、署名運動は私と二、三人でし、赤ちゃんは同室の母親が交替で看病する事に決めた。


[2009/03/25 07:21] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
守る会・光を求めて二十年 5
 私は、「署名は任して。お店を頼む。頑張って!」と電話を切ると通りがかった看護婦に砒素中毒患者の病棟を聞き、娘と荷物をかかえ足の向くまま行き着いたのが、二階二十七号室。手前の廊下から待合用の長椅子二本を引張り込み、ベッドを作りそのまま入院患者となった。混雑で通院患者とも知らぬ看護婦さんは、長椅子で気の毒だと布団を余分に運んで下さり、いつの間にかカルテも出来、注射も打って下さり、先生の回診も皆と同様であった。同室の方に「心配で勝手に入院した。よろしくお願いします。」と頼むと「よく来られた」と皆親切であった。
 私は今になって思う。あの時医者の指示通り通院して充分な手当てが受けられなかったら…と。現在被害者の中で当時の重症者が行き届いた治療で今は軽く、当時の中・軽症者の治療がずさんで後遺症の重い人がある。
 主人の「強引に入院せよ。絶対帰るな!」の電話はすでにこの事件の本質を見通し、娘を重い後遺症から救ってくれた。私も娘も主人のこの一声に心から感謝している。


[2009/03/24 06:28] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(50)
守る会・光を求めて二十年 4
 七月下旬、四十度の高熱でひきつけが起き、日赤へ即刻入院。脳膜炎と診断され、絶望の三日目に熱が下がり、同じ様な患者が次々と入院するのでベッドが足らぬからとすぐ退院を命ぜられた。脳膜炎の後遺症におびえる不安と悲しみの毎日であった。
 八月二十四日、夕刊岡山で「ドライミルクの恐怖」の記事を見、二十五日各紙「森永ミルクのヒ素中毒」を発表、かけつけた日赤の前は、炎天の下乳児を抱いた母親の長蛇の列、混雑した小児科の診断結果は、「中毒症です。ベッドが足りぬから重傷者の入院を優先し、市内の人は通院して下さい」といわれた。つい先日脳膜炎といわれ入院した事を訴えても通院せよの一点ばり。親達がささやく「砒素中毒解毒のバル注射を重傷者は夜も打つそうだ。バルは高価で毎日千円位かかる」等々、聞いた事を電話で報告し終わらぬ内に、主人から、「砒素中毒は、石見銀山鉱毒と同じ重金属で、後遺症が残る心配がある。入院料も一切森永が負担して完全に治療すべきだ。完全に治し、後に何も問題が残らぬようにすることは、むしろ森永にとってもよいことではないか。それには、親が団結してその様に事を運ばねばならん。安心して入院せよ。今、新聞に声明書を出すことと、署名運動の案をねっている。病院内の署名運動を頼む。通院せよと云われても絶対入院せよ。帰ってくるな。」と言われた。

[2009/03/23 15:30] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
守る会・光を求めて二十年 3
 昭和三十年五月十日、長女ゆり子出産、「異常ありません。キレイな赤ちゃんです。」看護婦さんの言葉に、初めて母親になった感激の涙を流した私は、丈夫なかしこい娘に育てたい一心で、定期検診には毎度いそいそと出向いた。母乳不足で、レーベンスや明治ミルクを飲ませていたが、保健所で森永ミルクが良いとすすめられそれに替えた。
 暫く順調だったが一か月半頃から吐乳、下痢症状が出て、病院に通ったが、森永ミルクなら絶対心配ないと云われ、、食欲のなくなった娘に、薄めたり、濃くして量を少なくしたり、苦心惨憺して与えた。が次第に腹はふくれ、吐乳、下痢のくり返し、やせ、皮膚の各所が異変、発熱、夜泣きで親子共々通院にヘトヘトになった。

[2009/03/23 15:27] | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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